2015-01-01から1年間の記事一覧
前回の記事『将軍・足利義輝の弑逆「永禄の変」から探る三好政権分裂の実情』 では、松永久秀が三好三人衆との対立に至った経緯について考えてみました。 しかし、それ以前の三好長慶がまだ細川晴元の麾下にあった天文年間、「天文の錯乱」を経て足利義晴を…
三好長慶死後の三好氏といえば一般には、将軍・足利義輝を「暗殺」した後、松永久秀と三好三人衆が対立して争う間に、「天下布武」を掲げて全国統一を宣言した織田信長が、義輝の弟・義昭を擁立して上洛を開始し、その怒涛の進撃の前に三好方は為す術もなく…
引き続き本願寺と畿内政権の関係の変遷を追いますが、今回は畿内第一の勢力として台頭した三好長慶との関係を軸に、本願寺が社会的地位を向上させていった背景を見ていきます。 また「天文の錯乱」の後、武家の勢力争いから距離をおいていた本願寺が、なぜ「…
かなり間が開いてしまいましたが、内容的には英賀城跡と本徳寺巡り(前編)『軍師官兵衛』が触れなかった英賀城と三木一族の歴史からの続き、というか補足になります。 「石山合戦」について書く前に、本願寺と畿内政権の関係の変遷を追う上で重要な事件、「…
連休で伊予国は道後に湯築城跡、そして松山城を訪ねてきました。 湯築城跡(道後公園)は、すっかり公園な感じ…。 湯築城跡と河野氏にまつわる話はまた別の機会においといて、今回は松山城のすごい石垣を写真で紹介します。 近世になって建てられた城だし、…
さる3月28日、兵庫津遺跡第62次調査の第4回現地説明会に参加してきました。 前日の神戸市からのプレスリリースで「兵庫城の天守台か」と発表され、一部のニュースサイトには「信長の中国攻め拠点」との見出しで掲載されたものです。 兵庫城の天守台か ―信長…
英賀城は、夢前川の河口一帯に瀬戸内水運の拠点として発展し、本願寺の播磨における拠点となった本徳寺の寺内町として栄えた城郭都市です。 英賀を発展させた英賀城主・三木一族 戦国期に英賀城主を務めた三木氏は伊予河野氏の一族で、讃岐三木郡を相続した…