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k-holyの史跡巡り・歴史学習メモ

趣味の史跡巡りと歴史のことを書きます。戦国時代でも織田信長上洛以前の畿内と西国が多め。内容には素人の根拠無い想像が混ざってるのでお気をつけください。

沖縄の城跡めぐり(浦添城)と三山時代

めぐり、という程は巡れていませんが、先日の沖縄旅行で浦添城(うらそえグスク)に訪れました。

浦添城と中山王国の流れ(英祖王まで)

13~14世紀にかけて、各地で「按司」と呼ばれる指導者が石垣によって築かれた城塞「グスク」を拠点として抬頭、沖縄本島は北山、中山、南山の三大勢力に統合されていきます。

そのうち後の琉球王国の前身である中山王国の拠点が浦添城で、正史では保元の乱に敗れて琉球へと流れ着いた源為朝と大里按司の妹との間に生まれた尊敦が浦添按司となって中山を平定、1187年に舜天と名乗って舜天王統の祖となったとされています。

(この辺りはいわゆる日琉同祖論の起源となった為朝来琉伝説が、17世紀に羽地朝秀によって編纂された琉球王国の正史『中山世鑑』に盛り込まれたものと言われています。日本と琉球の関係構築に関わる政治的な問題も背景にあるようで、深入りするのはちょっと難しそうなところですが…)

舜天王統は3代の義本王の時に飢饉によって国が乱れ、1260年に伊祖城を拠点とする英祖が王位を譲り受けて浦添城に入ったとされ、実際にグスクが建築されたのはこの英祖王の頃と言われています。

ここは山の中腹にある「浦添ようどれ」(夕凪の意)と呼ばれる琉球王国初期の王陵へと続く御門で、かつては「暗しん御門(うじょう)」と呼ばれるトンネル状の門だったものが、先の沖縄戦で上部の岩が崩されてしまったそうです。

浦添城は北西方面の海岸と首里の間にある要地のため、城全体が米軍の集中砲撃を受けて石垣のほとんどが破壊され、基礎石を残すのみとなってしまいました。

再建された浦添ようどれ一番庭の門。

向かって左側の東室が、浦添に生まれて第二尚氏王統7代目の王位についた尚寧王の王陵。

右側の西室が、英祖王の王陵です。

王陵を守護する石獅子。元々は左右一対だったものですが、右側の石獅子は沖縄戦で破壊されてしまいました。

1997年から始まったようどれの復元事業は2005年に完了しましたが、グスクの石垣の復元工事は現在も続いているようです。

グスクとようどれを結ぶ階段

ようどれの説明板

城壁を見上げて

一部、古い石積みが残っているようです。

グスク内にいくつかある御嶽(拝所)のひとつ、ディーグガマ。

浦添王子遺跡」とありましたが、由来は分かりませんでした。

ディーグガマの上には、1952年に建てられたという沖縄戦の慰霊塔「浦和の塔」があり、その真下の洞窟は納骨堂になっています。

以下、説明板より

この慰霊塔は 西暦一九四五年 昭和二十年の沖縄戦で護国の神と殉じた忠霊の冥福を祈り 併せて再び侵すまじき戦争えの道と地上永劫の平和の祈りをこめて 西暦一九五二年 昭和二十七年三月 浦添村民の浄財により建立され 更に 一九六三年三月 昭和三十八年 南方同胞救護會の援助で補修工事がなされた 塔名は津津浦浦の平和の守護神として忠霊の照覧鎮座を願い「浦和の塔」と命名したものである

納骨堂には村内各地で散華した軍人軍属及び民間人五千余柱を安置し 毎年十月に村主催の慰霊祭を行っている

一九六三年三月 浦添

石垣の美しさに興奮して軽く高揚していた心に、ずしりと重く響きました。

このような個人で建てられたと思われる慰霊碑もありました。

ここは琉球王国の始まりの地として重要な史跡であるとともに、沖縄戦の戦跡でもあるわけで…そういう意味でも、首里城だけではなくこの浦添城にもぜひ訪れてみてください。

中山王国から琉球王国へ(察度王統から第二尚氏王統樹立まで)

5代90年続いた英祖王統の次に政権を奪取したのが、中山国北東で威勢を誇った勝連按司の娘を妻に迎え、積極的な交易により力を蓄えたと伝えられる察度で、前王が死去した翌1350年に察度王統を樹立しました。

察度王は1372年、建国間もない明朝の招きに応じて初めて入貢し、後の琉球王国まで続く大陸との貿易と文化交流の嚆矢となりました。

読谷村残波岬に立つ、察度王の弟・泰期の像。

読谷山宇座出身の泰期は進貢使として琉球で初めて大陸へ渡ったことから、説明板には大交易時代を先導した「商売の神様」として商売繁盛を期して建立した、といったことが書かれていました。

察度王統は2代56年続きましたが、1406年には佐敷城を拠点としていた尚思紹とその子・巴志が浦添に攻め入って武寧王を滅ぼしました。

武寧の世子を称して明国の冊封を受け「琉球国中山王」に封じられた思紹は、拠点を首里城へと移して各地へ侵攻を続け、1416年に北山の今帰仁城を攻略、1421年に思紹が死去して巴志が王位を継承、1429年には南山城を攻略して三山統一を果たしました。

こうして尚巴志によって琉球王国が成立、先代の尚思紹から数えて7代64年が第一尚氏王統とされていますが、その治世も決して盤石ではありませんでした。

王位継承を巡る「志魯・布里の乱」や、有力按司の反乱「護佐丸・阿麻和利の乱」を経て、1469年にはクーデターを起こして王族を追放した前摂政の金丸が「尚円」を名乗り、第二尚氏王朝を樹立します。

(武寧の世子を称した尚思紹もそうですが、明国との冊封関係を円滑に継続するためにこのような措置をとったものと思われます。)

護佐丸と阿麻和利については、昨年に訪れた中城城と勝連城が大きく関係しており、いずれ紹介したいところですが、今回はこのへんで。

参考書籍

座間味栄議『三山とグスク グスクの興亡と三山時代』(むぎ社)

三山とグスク―グスクの興亡と三山時代

三山とグスク―グスクの興亡と三山時代

読谷村の物産館で見かけて、パラパラと内容を見て即買いしました。

南山配下の12城、中山配下の8城、北山配下の5城が紹介され、それぞれ現在の様子と周辺の史跡や御嶽、それに歴史的な背景が解説されている本で、沖縄の城巡りが楽しみになりそうです。

旅先ではよく現地で出版されている歴史関連の本を探すのですが、沖縄は特にその数が多く感じました。

発行元「むぎ社」のWebサイトもありました。

むぎ社は沖縄県の歴史・民俗・自然を中心に、地方出版物を刊行する出版社です。

http://www.mugisha.net/