k-holyの史跡巡り・歴史学習メモ

趣味の史跡巡りと歴史のことを書きます。戦国時代でも織田信長上洛以前の畿内と西国が多め。内容には素人の根拠無い想像が混ざってるのでお気をつけください。

古戦場

尼子詮久の東征(上洛戦?)から郡山城攻めに至るまで

天文年間の尼子氏による上洛戦とも思われる東征については、侵攻を受けた赤松氏や浦上氏の側から触れてきましたが、今回は尼子氏の側から見た流れをまとめてみます。 畿内の混乱と西国の情勢 この頃の畿内では、天文元年から5年にかけて、細川晴元政権の内訌…

「備中兵乱」と常山城の鶴姫 - 岡山県立博物館の企画展『岡山の城と戦国武将』より(後編)

前回の記事 岡山県立博物館の企画展『岡山の城と戦国武将』(前編) の続きです。 今回は展示品の感想とともに、以前の記事 天正2~3年の「備中兵乱」の背景と備中松山城、備前常山城 でも少し取り上げた、備中三村氏と常山城の「鶴姫」について書きます。 …

上月城の戦い第二幕・尼子再興戦の終焉

別所氏の離反と毛利方による上月城包囲 上月城の戦い第一幕・秀吉の播磨侵攻 からの続きです。 天正5年(1577)12月、播磨佐用郡を平定した秀吉は、最前線となった上月城を尼子主従に守らせて自身は龍野へと移り、網干郷に禁制を与えるなど戦後処理を行った後…

上月城の戦い第一幕・秀吉の播磨侵攻

上月城と赤松七条家と上月氏 上月城は播磨国佐用郡の西端に位置し、美作・備前に通じる交通の要衝に築かれた城です。 天正6年(1578)に尼子勝久と山中鹿介ら旧臣達が織田方の一員として御家再興を掛けて戦った最後の舞台として知られていますが、中世における…

設楽原古戦場めぐり

設楽原の合戦後、戦死者の後片付けに従事した竹広の村人達によって築かれたという「信玄塚」 こちらの大塚は武田方の兵士が眠っているそうな。 一帯には慰霊碑や供養塔もたくさん建てられていました。 「武田家旧温会創立五十周年 記念事業実行委員会名簿」…